行ってみよう・見てみよう
行ってみよう・見てみよう
- 対決・・・国立博物館
- 2008/7/31 up
- 仏蘭西料理 貝殻亭
- 2007/9/29 up
- 行ってみよう
- 2006/4/13 up
- 博物館と美術館
- 2005/5/6 up
- レストラン「一億」
2008/7/31 up
上野公園口から左に東京公会堂、右に西洋国立美術館を見ながら歩くと、右に噴水が見えてきます。
その噴水沿いに歩いて、行き止まりに東京国立博物館があります。
今、その特別展覧会で興味深い「対決」が行なわれています。
運慶vs快慶、歌麿vs写楽、応挙vs芦雪などの12の対決が観られるのですが、その中でも特に面白いのが若冲vs蕭白(しょうはく)です。アメリカの収集家プライスは大学卒業記念に父親から「車でも買えや」と今のお金で1千万円位を貰い、ディラーに行くまでの道沿いの店で若冲の絵を観て、とりこになりそれ以来、若冲を集め続けたので、多くの若冲はプライスコレクションにあります。色の斬新さ、タッチの繊細さが受けたのかどうかはわかりませんが、アメリカ人に人気があります。 蕭白はおどろおどろしいタッチで描く妖怪や仙人がユニークで、こちらは日本人の遊び心に深く触れてくるもので、殺伐として来た現代社会に厭きた人の心に一涼の風を吹かせることでしょう。
2006/4/13 up
世界遺産でもあるナスカの地上絵を空中から眺めたようなバーチャル体験ができます。個人的には漫画のような顔が書かれた陶器の数々が好きでした。私の子供(小6)は黒目の残った子供のミイラをポカンと口をあけてジーっと見つめた後「あー怖かった」と言っておりました。
2006/4/13 up
世界的にも屈指なスペインの国立プラド美術館の所蔵するベラスケスやゴヤの絵画が並びます。個人的には「夏」という題の農婦が麦畑で嵐を予感させるかのような空を見上げている姿が好きでした。子供はクレオパトラが毒蛇にかまれた瞬間を描いた絵を眺めながら「カエサルとエジプトの間に何があったのだろうか」とローマの歴史に思いをはせていました。(これはうそです)
2006/4/13 up
上映中に一睡たりともしなかった映画は久しぶり。大人もたっぷり楽しめます。子供は実はこれが一番うれしかったようです。
2005/5/6 up
連休中の午前中は、私の息子は野球の練習で遠出ができないので、午後に上野の森を歩いたりします。国立博物館では「ベルリンの至宝展」(6/12まで)が開催されています。
ベルリン博物館島は川の中州全体に敷地がある欧州最大の博物館でした。第2次世界大戦、東西ベルリン分裂などで多くの建物と収集物を失いましたが、ドイツが統一され復興し1999年には世界遺産となりました。古代から現代までの美術品が眼を楽しませます。
国立科学博物館(7/3まで)では「恐竜から鳥への進化」が開催され、オークションにて約10億円で落札されたティラノサウルス「スー」の全身レプリカが日本初公開です。恐竜の化石はまさに「とり肉」のようで、その進化説にも納得させられます。
国立西洋美術館では「ラ・トゥール展」(5/29まで)、トランプの詐欺師を横目で見る女の絵が面白い。「マックス・クリンガー版画展」(5/29まで)、個性的な題材と筆致が面白い。時間のある方はどれか行かれると仕事とは違った世界に触れることができます。
ちょっと風変わりな店である、バリ島から切り出してきた木を内装に使い、料理は3種類の醤油をベースにした無国籍風。
風変わりな店はやはり風変わりな人がオーナーだ。
そのオーナーの還暦祝いのときに取材して風変わりな人生を簡単にまとめてみました。
レストラン「一億」マスターの「還暦から昔を振り返って」
略歴
植田豊、後の一億のマスターとなる男が、昭和18年2月21日 島根県邑智郡(おおちぐん)岩見町にて生まれた。親からもらった頑丈な体はすくすくと育ち、学生時代は「なぜ僕は勉強をしなくてはいけないのか」という疑問を持ちながら、特に将来の希望も夢もなく過ごしていくのであった。
高校の卒業間近に大阪に出て、喰い倒れの町を歩く。この時に、あるレストランのコック長の月給が6万円と知り、人生最大の感動を覚える、豊少年18歳。思えばこの感動が少年を料理の道に進ませたのであった。
高校を卒業して最初の就職先は東京は浜町の浜田屋というレストラン。「どうせ料理の世界なんていうのは、やわな女が働く世界」、食えるものが食えるからいっかといういい加減な気持ち、しかも高給取りだけが夢で料理の道に飛び込んだ豊少年につらい修業に耐えられるはずもなく20日で店を飛び出すことになった。しかし威勢良く田舎を出てきた手前、恥ずかしくて故郷に帰れない豊少年は、大田区の工場地帯のある工場で働きだす、仕事はコークス運びだ。3畳間に2 人押し込められる生活に、もちろん即逃げ出した。
やっぱり故郷に帰ろう、と決めた豊少年、広島からバスに乗るがそのとき故郷の先輩と会い、帰りたくない一心の豊少年はその先輩の誘いに飛びつき鶏の卵の孵化場に勤めることになる。しかしそこでの食事は毎食玉子焼き、根性を東京に置き忘れた豊少年は即逃げ出す。そしていよいよ故郷に帰ることになる。
といっても、そんなに良い就職先があるわけもなく、クリーニング屋、日雇い労働者と、体力勝負の仕事を転々とする。そんな時、国鉄への就職が決まりかけたが、根性なし、と見られたかどうか就職見合わせとなり、ひょんなところから東京のホテルニュージャパンへの就職が決まる。ニュージャパンの人事部長の服・身に着けているもの、コックの颯爽とした格好の良さ、ホテルの内装のきらびやかしさ、すべてに憧れ感動を覚えた田舎少年であった。
思えば人生2回目の感動である。「よし俺は絶対コックになってやる」、希望と夢に満ち溢れた豊少年であった。お金のない豊少年は料理場の休憩場に泊まりこみ、下駄を履いての修行のときであった。しかし、やはりここでも格好のよさだけにあこがれたモチベーションは長続きをするわけがなく、料理を覚えようという気も空回り、当然、同輩からは差をつけられ、後輩からも追い抜かれる。
ここで普通の人と違うのが後のマスターこと豊少年。「このままでは俺はだめ男で終わってしまう、よーし、アメリカに行こう、アメリカに行けばこいつらを見返してやれる、人生出し抜いてやる」、考えてみればアメリカに行っただけではどうにもならないので、この計画はうまくいくはずもないのであるが、人生どう転ぶかわからないもの、このおおいなる豊少年の大勘違いが彼の人生の将来を決めることになるのであった。この時、豊は23歳であった。
アメリカに渡りまたもやすべてのことに感動を覚えた。もはや青年となった男はアメリカが肌に合うのか猛烈に働きだした。見るもの聞くもの触るものすべてを身体に吸収し始めた。なんてったって今までの人生で一所懸命になったことがないのだから、頭・身体に新しいことが入る隙間はたくさんある。
「学生のころは何で俺は勉強しているかわからなかった、しかし今は違う、生きるために、生きることを豊かにするために勉強をするんだ」、目標を持った男は強かった。3年間働きに働いた。そしてアメリカにもグッバイをする時期がやってきた。
豊青年は、この間に夜も寝ず働きづめで貯めたお金で世界を回ってやろうという野望を持つ。大事なお金をズボンの裏に縫い付けて、アメリカを出た豊青年は、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンと回り日本へと帰ってきた。
ここですごいところが豊青年、のちのマスターだ。その旅行で残ったお金で店を出すことになる。いかにアメリカ時代に働いたかを思わせる話である。場所は西麻布の霞町、3年間ここで営業をしたのち、今の六本木のこの場所に「レストラン一億」をオープンさせた。このとき男マスター29歳であった。
西麻布から数えて34年間、いろいろな人と出会い、話をし、けんかもして、60歳になったが、思うことは、「つくづくこの店は俺一人のものではなく、来てくれるみんなの店なんだなあ」ということ、達観をした今や老年となった豊老年、あと30年はがんばる、とのこと、次のパーティは白寿のときにでも豊大老年としてお会いしましょう。










